これは狂言の世界の言葉です。
狂言の家に生まれた子は幼少の頃から稽古が始まります。
小学校に通い始める頃には初舞台をむかえます。
その時の最初の役が猿役です。
それから本格的な修行が始まり、狐の役ができるようになって修了です。
そう、修了であって、終了ではないのです。
ここからやっと狂言師としての修行が始まるのです。
鮒に始まり鮒に終わる。
これは釣りの世界の言葉です。
釣りの入門として鮒釣りから始まり、いろんな釣りを経験して行き着くところは鮒釣りという意味です。
まぁ、これにはいろんな意味合いがあるようです。
「身近で簡単に釣れるマブナ釣りで始まり、難易度が高いヘラブナ釣りに行きつく。」
「年を取って体力がなくなったら、最初の簡単な鮒釣りに戻る。」
「簡単で入門にはもってこいの鮒釣りだが、実は奥が深く、鮒釣りには釣りの極意がある。」
僕の勝手な願望では、「鮒釣りには釣りの極意がある」であって欲しいのですが。。。
しかし、これはもはや死語と化しているようです。
子供たちは鮒釣りなんてしないようですね。
今や「ブラックバスに始まり・・・」といったところでしょうか?
バス→エギング→ジギング→何だろ?
これが主流のようです。